東京混声合唱団第254回定期演奏会を聞きました。webを通じての視聴です。
- 【詳細はこちら】東京混声合唱団第254回定期演奏会
今回の記事では演奏・曲の感想はもちろんのこと、キハラ良尚先生、栗山文昭先生の指揮から「これは学びたい!」と思ったこともまとめています。
感想をシェアすることで、お読みいただいている方にとっても得るものがあればと思います。
お読みいただけると幸いです。それではどうぞ!
もくじ
第1ステージ 寺山修司の詩による6つのうた《思い出すために》
今回の演奏会では作曲家である信長貴富先生がコンサートの監修をされたということで、1,2,4ステージは信長先生の作品となっています。
《思い出すために》は信長先生の初期の作品。この曲で信長先生を知った、信長作品にはまったという方も多いのではないかと思います。
《思い出すために》は全7曲ですが、特に印象的に感じたのは
- 2.『てがみ』
- 3.『世界のいちばん遠い土地へ』
の2曲です。
『てがみ』が印象的だった理由はハーモニーの明瞭さです。
この曲では2度の不協和音が多用されており、それが曲全体の不思議で神秘的な雰囲気を醸し出しています。
この点が他の曲にはない魅力ではある一方、演奏する方からするとなかなか厄介。
不協和音ですから、精度が甘いとたちまちハーモニーが濁ってしまうんですね。
こうなるとこの曲の雰囲気を一気に損ねてしまいます。
今回の演奏では、その2度のハーモニーが「これ」と分かるほど明瞭で、曲の世界観をいかんなく表現されていたと思います。
もう一曲、『世界のいちばん遠い土地へ』はピアノパートの存在感が光ったと思います。
この曲の演奏では、合唱の豊かな声量に押し負けて、ピアノパートの細かいパッセージ、ディティールが埋もれてしまうことが多いのですが、今回の演奏ではそうではありませんでした。
躍動的なシンコペーションや装飾的なアルペジオが、すべて機能的にはたらいていました。
第2ステージ 混声合唱とピアノのための『そうそうと花は燃えよ』
第2ステージの『そうそうと花は燃えよ』、は非常に壮大な作品でした。
ピアノパートによる地鳴りのような低音と天を突くような高音、合唱の骨太なメロディーが非常に印象に残っています。
圧巻の演奏でした。
第3ステージ 《木とともに人とともに》より『空』『生きる』
第3ステージは栗山文昭先生指揮による『空』『生きる』でした。三善晃作曲の《木とともに人とともに》より。
栗山先生による選曲で、私自身もまさに今歌うべき曲だと感じました。
『空』ではここまでの演奏と比べて、一気に音が軽やかになったのがとても印象的でした。(軽々しいという訳ではないです。)
ピアノ(寺嶋陸也先生)とのアンサンブルも巧みでしたね。
『生きる』は非常にたっぷりとしたテンポ設定で、「いっぱい聞けるじゃん!」と嬉しく思いました。
fffの場面(”Ah-”のところ)の充実感はさすがの東混でした。
ベースの存在感が良かったな。
第4ステージ 混声合唱とピアノのための『静寂のスペクトラム』
全曲聞いたのは初めてでした。
言葉と音の扱いがとても実験的、挑戦的な作品です。
4曲聞き終わった後は、まるで現代美術の展覧会を見て回ったような気持ちになりました。
3曲目の『単調な空間』は特に難解というか、前衛的な作品。
聴覚、視覚、言語にはたらきかけてくるようで、様々なものを想起させられました。
モンドリアンのような抽象絵画を思い出したり。
あるいは過去に演奏された信長作品《ロールシャッハ・テスト》を思い出しました。
《ロールシャッハ・テスト》は、たしかメシアン・モードを利用した曲、と記憶していますが、『単調な空間』でもそうだったのでしょうか。(ピアノパートの音型がそれっぽかったかも…?)
4曲目『とてつもない秋』は和合亮一さんの詩を用いた作品。
和合さんの詩では、文から単語が飛び出し、単語から文字が飛び出し、文字がエネルギーの塊となっています。分子が電離してプラズマになるみたいに。
そのエネルギーの塊がまさにぶつかってくるような演奏だったと思います。
ちなみにプラズマのたとえは新実徳英作曲《宇宙になる》の『ロックンロオル』を聞いていて思いつきました。
キハラ良尚先生の指揮から学べること
こんなつぶやきをしました。
https://twitter.com/esuta_chorus/status/1352872188467007488?s=20
- 歌わせる指揮(手のひら上向き)
- 歌わせない指揮、sub. p(手のひら下向き)
- 右手左手使い分け(明確です)
- 変拍子のはめ込み(2+3/8, 2+2+3/8など)
- 空間の使い方(利き手と逆側、上のほう、下のほう)
分かりやすいようにもう少し深く解説してみたいと思います。
歌わせる指揮・歌わせない指揮
指揮を見て歌っている方からすると、手のひらの向きで結構印象が変わります。
もちろん全部にこれがあてはまるという訳ではありませんが、私の印象ではだいたいこんなイメージです。
- 手のひら上向き…歌って!
- 手のひら下向き…抑えて!
キハラ先生はこの両者を明確に使い分けているように見受けました。
これは指揮初心者の方でも参考にできそうですね。
sub. p(すぐに小さく)
sub.pをどう振るかというのは指揮者としても工夫のしどころです。
sub.pは急に小さくという意味ですが、わざわざ作曲家がそう書くからには音楽的な見せ場でもあることが多いのですね。
キハラ先生はかなり大胆に「小さくして!」の指示を表現されていたように思います。
こういう思い切った表現は参考になるな、と思いました。
右手左手使い分け
右手左手の使い分けというのは、指揮を始めたばかりの方にとって悩みどころなのではないかと思います。
キハラ先生はかなり明確に両手を使い分けていましたね。
また、よくよく見ると「常に左手を使わなくても良い」ということも分かったのではないかと思います。
左手を要所で使うことでより効果的になっているのかもしれません。
変拍子のはめ込み(2+3/8, 2+2+3/8など)
ちょっと難しい内容です。
『そうそうと花は燃えよ』では中盤にずーっと変拍子の場面がありましたね。ここの振り方に関することです。
楽譜を見ていないので分かりませんが、2+3/8, 2+2+3/8のような感じだったのかなと思います。(マルタンの2重合唱ミサのSanctusみたいな)
あれくらいのテンポだと、一拍の中に8分音符2つまたは3つを「はめ込んで」振ることになります。
このはめ込みが非常に参考になると思います。
おそらくミュートにして指揮だけを見ても8分音符が「見える」んじゃないかと思います。
空間の使い方(利き手と逆側、上のほう、下のほう)
空間、スペースの使い方も参考にできる部分が多いと思います。
指揮をするエリアは、体幹の真正面だけでなく、タテにもヨコにも広く使えると表現力がアップします。
初心者の方でありがちだと思っているのは、
- 利き手側
- 高めのポジション(胸くらいの高さ)
の限られた空間だけで振ってしまっていることです。
それに対してキハラ先生は、
- 利き手と逆側
- 一番高いポジション(頭より上の高さ)
- 一番低いポジション(腰くらいの高さ)
まで広々と使っていたのが印象的でした。
栗山文昭先生の指揮から学べること
同じくつぶやきを元にまとめます。
https://twitter.com/esuta_chorus/status/1352892594787733505?s=20
- アーティキュレーション(アクセント、テヌートなど)の振り分け
- 言葉の振り方、四拍子の拍節で振らない
- tutti感、音の厚み、ボリューム感をイメージしたブレスの取り方
上級編です!
アーティキュレーション(アクセント、テヌートなど)の振り分け
今回演奏された三善作品では特にアクセントやテヌートの振り方が大切になってきますよね。
楽譜がお手元にある方はそれと照らし合わせると、
- アクセント
- テヌート
- スラー
など、栗山先生が細かく振り分けていたのが分かるかと思います。
言葉の振り方、四拍子の拍節で振らない
『生きる』は楽譜上四拍子の曲ですが、栗山先生はだいたいの場合はっきりとした四拍子図形と使っていなかったように思います。
この曲が16分音符を主体にした、日本語の話し方に密着したメロディーになっているからですね。
これをきっちりとした四拍子図形で叩いてしまうと、無用な拍節感(ビート感)が生まれ、日本語の自然な流れを損ねてしまいます。
日本語のゆったりとした曲では、特にこのような配慮が必要なのですが、かなり高水準なテクニックとなります。
ではあるのですが、こころの片隅にでも置いておいて欲しいなと思っています。
tutti感、音の厚み、ボリューム感をイメージしたブレスの取り方
『生きる』後半の”Ah-”のところの話です。
ここでのクライマックス、十分な音量を引き出すためのブレスが印象的でした。
ここの予備運動、ブレスからは、「次はtutti、重厚でボリューム感のある音」がイメージとして伝わってきました。
明確に次の音楽をイメージしたブレスを取ること。これは非常に大切ですね。
まとめ:【感想】東京混声合唱団第254回定期演奏会
以上です!
大変素敵な演奏会だったと思います。勉強にもなりました。
ここまでお読みいただきありがとうございました!