こんにちは。『えすたの合唱ノート』にようこそ。こんなマニアックなテーマのブログを、よくぞ見つけてくれました。ありがとうございます。
このページでは、このブログを書いている私、「えすた」について、そして『えすたの合唱ノート』そのものについて、紹介させていただいています。
もくじ
「えすた」の自己紹介
はじめまして、「えすた」です。このブログを書くときには、この名前でやらせてもらっています。
現在は社会人として働くかたわら、合唱団を運営し、そこで指揮者をしています。
まずはこれまでの経歴を含めて自己紹介させていただこうと思います。とても長くなってしまったので、大体のところが分かったら読み飛ばしてもらっても構いません。
中学:合唱音楽との出会う
合唱音楽との出会いは中学生のとき。とはいっても、通っている中学校に合唱部はありませんでした。そのため、聞いたり歌ったりしていたのは、もっぱら「クラス合唱」のレパートリーでした。
「クラス合唱」といえば、男子が真面目に歌わないことで有名です。そんな中、自分で言うのもなんですが、優等生だった私は、彼らと一緒にされるのが嫌で、人一倍、ときには貧血で倒れるほど一生懸命に歌っていたのでした。
最初のうちは、いわば優等生的反骨精神で合唱と関わっていたのです。
そんな私でしたが、次第に合唱音楽そのものについて興味を持つようになってきました。
音楽の教科書には、歌ったり聴いたことがない曲がたくさん掲載されていました。しかし、音楽の素養に乏しい当時の私(幼少期、ピアノを習っていたこともありましたが、すぐに辞めてしまいました。)には、その楽譜がいったいどんな音楽になるのか、見当もつきません。
なんとかして聴いてみたいと思っていたとき、たまたま目に留まったのが、教科書のコラムで紹介されていた「てきとーシーケンサ」というフリーソフトでした。
このソフトはMIDIという電子音源データを簡単に作成できるもので、「楽譜に書かれているのがどんな曲なのか、分かるかもしれない!」と、興味津々でダウンロードした覚えがあります。
今だったらYoutubeで検索すれば、だいたいの作品を聴くことができますが、当時はその存在を知りませんでしたし、もし知っていても、今のようにたくさんの演奏がアップロードされていることはなかったでしょう。
無事にソフトをインストールに成功した私は、教科書に載っていた譜面を手当たり次第に片っ端から打ち込み、聴いていきました。
当時は、特に音楽に詳しくなってやろうなどという気持ちは微塵もなく、純粋に「どんな音がするのか聴いてみたい」という好奇心でやっていたと思います。
ですがその過程で、無意識のうちに音楽を作る上で大切なものを学び取っていたようです。
例えば、「楽譜にこう書かれているとこんな音になるのだ」という経験を繰り返したことは、楽譜を読む力に繋がりました。
また、「変な音がするときは、間違っている箇所を突き止めて修正する」という過程は、指揮者として、できていないことを指摘して、演奏を仕上げていくという力になってるような気がします。
振り返ってみると、私の指揮者としての原点はこのあたりにあったのかもしれません。
高校:ベースパートリーダーになる
高校には合唱部がありました。実力的には強豪校というほどではなかったですが、それなりにしっかりと取り組んでいて、県レベルでは結果も出していました。
同郷の先輩が声を掛けてくれ、入部することにしました。その先輩は、どこから聞いたのか、僕が中学で一生懸命歌っていたのを知っていて、合唱に興味があると思ったそうです。縁があるとはこういうことなのかもしれません。
入部したら最初にやることと言えば、パート分け。自分は声が高いほうだと思っていたので、ベースパートに振り分け。ちょっとショックでした。おそらく当時の人数バランスとか、他のメンバーの声質とかも考慮されたのでしょう。
歌ってみて最初に好きになった作品は木下牧子さんの『鷗』でした。歌ってみて、すごく楽しかった覚えがあります。
入部当初は、はじめての本格的な合唱についていくのがやっとでした。ですが、慣れてくると、だんだん周りが見えてくるものです。
僕は「あれ、うちのパートはパー練中、なんだか効率よく練習できてないな。雑談も多いし…」ということを思うようになっていきます。
また、「こんなに適当な練習で、それなりの結果が出るのなら、ちゃんとやればもっと良い賞だって取れるのでは?」と、そんなふうに考えるようにもなりました。それも1年生のときから。生意気ですね。
「僕ならもっとこのパートを上手にできる」そう考えた私は、2年生でベースのパートリーダーになりました。
その結果、目論見通り自分のパートを上手にすることや、そもそも真面目に練習する雰囲気を作ることには成功したと思います。
ですが、最後のステージとなる3年のコンクールでは、部全体として目覚ましい結果を得ることはできませんでした。
正直言うと、それほど悔しくはなかったです。自分たちの実力はなんとなく分かっていたからかもしれません。
大学:合唱指揮者になる
大学でも合唱は続けたいと思っていました。
新歓の時期は大学の合唱団が昼休みなどにミニコンサートをしています。そこで演奏を聴きました。そのときの感想はどんなだったか…「毎日練習していないんだったらこんなもんかな」です。
毎日練習していた高校のときに比べて、大学では月・木・土の週3と聞いていたのでこんなことを思ったようです。新入生のクセに、本当に生意気です。(本番が近づくとほとんど毎日のように練習している団だということは、入った後に知りました。)
僕はチラシに書かれていたメールアドレスに自ら連絡して、練習の一日体験にも参加しました。そこで「この感じならやっていけそうかな」という感触を得た僕は、その日のうちに入部を決めました。他の部活やサークルはほとんど見ていませんでしたが、割とすぐに決断したように記憶しています。
ちなみに念願の(?)テノールに配属されました。
入部当初は高校の合唱部との違いにとても戸惑いました。
高校では先生の指示に従っていればよかった。ですが大学では、団体の運営を全て自分たちの手で担っていかなくてはいけません。
1~2年生の間は、降り掛かってくる色々な仕事に大きなフラストレーションを感じていました。
「合唱をするために入ったのに、なんでこんなことをやらなきゃいけないんだろう」、そう思って一時は辞めようかな、と思ったことさえあります。
自分で合唱団を運営するようになった今では、そういった仕事の重要性は骨身に染みて分かります。ですが残念なことに、また恥ずかしいことに、在学中はそれが分からずじまいでした。
どこまでいっても音楽のことにしか頭になかったのです。
なにはともあれ、時は流れ3年生になりました。自分の学年から副指揮者を選出する時期です。
入団当初から「この団はもっと上手くなれる。俺がこの団を上手くしてやるんだ」という気持ちが常にあった私は、立候補しました。
議論と選挙の末、ありがたくも新しい指揮者として認めていただくことができました。
もしここで落選していたら、全く違った合唱キャリアを歩むことになったでしょうし、このブログも生まれなかったことでしょう。
この頃から、学内で開講されていた指揮法のゼミにも通い始めました。師からは、基本的なバトンテクニックや、音楽そのものについて、大切なことをたくさん教わりました。
4年では正指揮者となり、合唱団の技術のリーダーとして責任ある立場を担いました。定期演奏会が、この団の指揮者としての最後のステージとなりました。
ずっと生意気ばかり言っていた私ですが、失敗も含めて色々な経験をし、人間的にも成長できた4年間だったと思います。
ところで在団中、私はいくつか(10曲くらい)の合唱曲を作曲しました。
実はこのときまで、中学で始めたMIDI制作を、ずーっと続けていたのですが、そのうち「なんか自分で曲が作れそうじゃね?」と思うようになり、実際にやってみたらできたのです。
私の団では、恒例行事として、合宿などの折、団内でのミニコンサートが開催されていました。そこで私は、メンバーを募り、指揮は自分で振って自分で作った曲を披露していました。
これが社会人になってからの活動に繋がっていきます。
社会人:合唱団を作る
自分の作った曲は、自分でも結構良い曲だと思っていましたし、歌ってくれたメンバーからの反応も上々でした。
そこで次に考えたのが、「自作曲を公の場で演奏し、評価を問うてみること」でした。私は、協力してくれるメンバーを集め、県のアンサンブルコンテストに出場しました。
このときはもう大学の団は卒業していたため、これが一般団としての活動の第1歩だったことになります。別の大学に行った高校の合唱部の同期・後輩も協力してくれました。
結果は金賞を受賞。審査員をされていた指揮の師匠にも、また同じく審査員をされていた作曲家の先生(超有名!)にも、「良い曲だ」とお褒めいただきました。
今思えば若気の至りとも言えそうな、不遜な挑戦にも思えますが、なんとか結果が伴って良かった。
それ以降、自作曲を世に出すことはしていないのですが、合唱団は残り、活動は継続しています。
2020年~2023年にかけての新型コロナウイルスの猛威も、なんとか凌ぐことができました。はじめて出場したアンサンブルコンテストにも継続して出場し、毎年良い色の賞をいただいています。
人見知りの私が作ったにしてはとても明るく、真面目な私が作った団らしく、音楽にひたむきな団になりました。この文章を書いている2025年で、10年ほどの歴史を数えます。
以上が、これまで歩んでこれた私の合唱キャリアです。こうして振り返ってみると、人と環境に恵まれてきたのだなと思います。
『えすたの合唱ノート』について
ここからは、本ブログ『えすたの合唱ノート』についての紹介になります。
こちらも長いので、やはり大体のところが分かったら読み飛ばしてもらって大丈夫です。
こんなブログを作ろうと思った訳
なんでこんなマニアックなテーマのブログを作ったのか。それは「合唱初心者の人のための教科書を作りたい」という思いからです。
私自身はこれまでのキャリアにおいて、高校でも大学でも、顧問の先生や先輩・同期・後輩など素晴らしい面々から学ぶことができました。
その一方で、経験豊富な指導者に関わってもらえる環境というのは決しても多くありません。大学のサークルではほとんどのメンバーが未経験から始めるということもあるでしょうし、クラス合唱の指導ではこれまで全く音楽に触れてこなかった先生が指導にあたるということもあるでしょう。
これまで、いろいろな演奏を聴く機会があった中、「教えられる人がいたら、もっともっと良い演奏になるだろうな」と思ったことは数知れません。
そこで思いついたのが、「インターネット上に合唱の教科書を作ること」だったのです。
具体的には、以下のような方を読者として想定しています。
- 校内合唱コンクールで金賞を目指す中学生・高校生・担任の先生
- 音楽経験がないのに合唱部の顧問になってしまった学校の先生
- 合唱未経験で合唱サークルを運営することになった大学生
こんな方々の助けになるブログにしていけたら良いなと思っています。
これまでと今
どんなブログでもそうですが、始めた当初はほとんどアクセスがありませんでした。記事を書けども書けども、ほぼ自分だけ…。そんな時期が少なくとも1年は続きました。
「こんなこと、やっている意味あるのかな…?」と心が折れそうになりながら、それでもなんとか続けているうち、少しずつアクセスは伸びてきました。
「たとえアクセスが日に1件でも、見てくれる人が1人でもいるなら、その人のために書くんだ」と自分に言い聞かせ、継続した甲斐がありました。
今では、時期によってはありがたいことに月間10万PVを超えることもあります。10月~11月頃や、3月頃に特にアクセスが多くなります。文化祭や卒業式のシーズンに伸びることからして、中学生・高校生が読んでくれているのかなと想像しています。
過去には「すごくニッチでマニアックなテーマですが、応援しています」「自分が中学生の頃にこんなブログがあったらなあ」という旨の応援のメッセージをいただいたこともあります。これは嬉しかったし、励みになりました。
また別のときには、「この曲を合唱コンクールで歌うのですが、苦戦しています。アドバイスをいただけませんか?」という旨のリクエストが届いたこともあります。合唱曲解説記事リクエスト用のページを作る前のことです。このときもとても嬉しかった。遅れて「こんなこともあるんだなあ」という驚きもありました。
このことがきっかけとなり、こんな記事(【お知らせ】合唱曲解説の記事執筆をお受けいたします!【好評です】)を作ることにしまいた。今ではこの記事経由で依頼をいただくことも増えてきて、通算20以上の記事を書かせていただいています。
軌道に乗るまでずいぶん時間と苦労は掛かりました。ですが、「こういう人に読んでほしい!」と思っていた層に届いているという手応え、そういった方々の役に立っているという手応えは、確実に感じています。それと同時に、これからももっと頑張ろうという気持ちでいます。
許していただきたいこと
本ブログの記事内容は完璧なものではありません。
自分の経験や、調べた文献などをもとに、なるべく正確で有用な情報を発信したいと思っていますが、それでも至らない部分があると思います。その点をご容赦いただければと思います。
本ブログの内容を参考にしていただける場合でも、私の言っていることを鵜呑みにせず、常に「もっと良い方法はないか?」というスタンスで活用していただけますと幸いです。
また、過去に書いた記事の中には、あまり上質とは言えないものが相当数あります。
かつては積極的にアクセス数と収益性を求めて執筆していたことがあり、その時期のものは特に、不本意な内容になってしまっているものも多いです。
そういった記事に関しては順次、適切な内容にリライトしていこうと思っています。
それまでの間、クオリティの低い記事が残り続けることになってしまいます。作業量は結構ありそうなので、数年単位でお待たせするかもしれません。何卒、ご容赦いただければと思います。
終わりに
長くなりましたが、私と私のブログ『えすたの合唱ノート』についての紹介は以上になります。
少しでも読者のみなさまのお役に立てるよう、日々努力し、執筆に励みたいと思います。
至らないところも多いかと思いますが、温かく見守っていただけますと幸いです。