こんにちは!
今回は寺山修司作詩・信長貴富作曲《思い出すために》より『ぼくが死んでも』について語っていきたいと思います!
曲の魅力や難易度、演奏のポイントについて深堀りしていきます。
それではどうぞ!
もくじ
『ぼくが死んでも』の魅力について語る!
まずは『ぼくが死んでも』の魅力について語っていきます!
『ぼくが死んでも』をざっくり紹介
『ぼくが死んでも』は《思い出すために》の4曲目。
曲集の中で一番穏やかな曲調で、なんというか安心感のある曲です。
詩はガルシア・ロルカによる「MEMENTO」のオマージュというやつでしょうかね??
日本語タイトルだと「さらば」(邦訳:長谷川四郎)。
こちらの詩にも信長さんは曲を付けてらっしゃいます。
この曲が収録された《ガルシア・ロルカ詩集》の方も興味があれば是非聴いてみてください。
切なさにじむヘ長調
曲はゆったりと流れる6拍子。ヘ長調です。
ヘ長調って長調で明るいんですけど、こういう切ない曲調にもよく使われる気がします。
非常にピュアでやんわりとした悲しさが滲む調ですよね。
B♭Maj7のようなテンション付きのコードが多用されるのがその要因かと思ったりします。
冒頭のピアノの繊細さ
前奏からして聴きどころです。高音部で、スタッカートとスラー付きで奏されるピアノは非常に繊細なタッチ。
コードもテンションノートが2度でぶつかっていたりして、脆さを伴った輝きを感じさせます。
そして実際3小節目のコードで崩れ落ちるような感じがありますよね。
4小節目から歌い出しにかけて明るさを取り戻していきますが、Des音がなお暗さを滲ませます。
このあたりのコードの運びを是非感じてみましょう。
ポツリと独り言のような歌い出し
最初のユニゾンの歌い出し。
ポツリと独り言、のように感じませんか?
実際には誰かに投げかけているのかもしれませんが、私はそういう風な解釈をしたくなります。
音符一つに文字1つが対応する、「語り」に近いメロディーだからかもしれませんし、ピアノの動きが細かくないからかもしれません。
ここから心の内面の変化に合わせて曲が展開していくようで、非常にうまく構成されているような気がします。
ピアノの音型とコードの変化による「海」のダイナミズム
さて、21小節目からは後半。
先ほど触れましたがここから音楽が大きく展開していきます。
具体的な要因はまずピアノの音型の変化。
細かい音符のアルペジオによって前向きな感じです。(accel.もあるけど)
もう一つはコード。Ⅳの和音(=B♭)から始まります。これも非常に展開力のある進行です。
テキストの「海」というワードの広がりとうまく対応しているように思います。
そして、24小節あたりがここのフレーズのクライマックスとなるわけですが、ここから音楽は落ち着いていきます。
バスの半音進行(A→As→G→Fis→F→E→Es→D)のラインが、やはり「遠」というワードとうまく対応しているような気がします。
バスの語りと冒頭のピアノの再現が絶妙
34小節目、やっぱりこれは独り言をポツリとつぶやくような感じがします。
そして、そこに重ねて冒頭のピアノが再現されるのが絶妙ですね。
めちゃ、良い場面です。
『ぼくが死んでも』の難易度・演奏のポイント
「ぼくが死んでも」はメロディーラインがシンプルで親しみやすい作品です。
が、簡単に上手な演奏ができるかというとなかなか難しいところがありますね。
というのは、何度か触れている通り非常に繊細な表情の作品であるということが理由です。
発声が練れていなかったり、ピッチが甘いと曲の良さを大きく損ねてしまう恐れがあります。
ところどころで結構凝ったハーモニーで彩られているため、音を取るのに結構苦労するかも。
加えてピアノの動きが少ない場面でのメロディーを美しく歌う、というのも課題となります。
29小節のTempoⅠあたりですね。
まとめ:『ぼくが死んでも』(寺山修司/信長貴富)
それではまとめです!
《思い出すために》より『ぼくが死んでも』でした。
寺山詩の切なさと信長作品の叙情的なメロディー・ハーモニーが美しくマッチした曲でした。
親しみやすいですが、演奏する際には慎重に取り組まないと曲の良さを損ねてしまいます。
メロディー、ハーモニーを美しく整えるのがポイントとなりそうです。
今回はここまで。それではまた!