- 「合唱コンクールで絶対優勝したい!」
- 「勝てる曲を教えて!」
こんな声をよく聞きます。
お答え致します。
「絶対勝てる曲なんてありません!」
…というわけで今回は、「絶対勝てる曲なんて無い」、その理由を解説した上で、
であれば
- どういう曲を選べば良いか?
- どうやって練習していけば良いのか?
- その中で一番大切なことは何か?
についてお伝えしたいと思います。
中学校・高校の校内合唱コンクールでのことを想定していますが、Nコン・全日本コンクールなどに臨まれる団体の方の参考にもなると思います。
それでは行ってみましょう!
もくじ
コンクールではどんな曲を選ぶべきか
コンクールの選曲はどう考えるのが良いのでしょうか。
コンクールの結果を決めるのは曲でなく音楽・演奏
まず初めに前提を確認しておきましょう。コンクールの結果を決めるものは何か?
それは曲そのものではありません。評価の対象となるのは演奏であり、音楽です。
審査員が「こんな曲を知っているのか! では1位にしよう!」と、こんなことはありません(ないはずです)。
至極当然のことではあるのですが、コンクールで評価されたいならば、クオリティの高い演奏、良い音楽を作り出す必要があります。
難しい曲を選べば良い音楽ができるのか
「コンクールで勝ちたいです。難しい曲を教えてください」という人の脳裏には、
- 難しい曲を選ぶ→クオリティの高い演奏ができる
という図式があるのだと思います。
しかし、私は必ずしもそうは思いません。その理由を説明します。
難しい曲というのは、歌い手に対してその曲なりの要求水準を持っています。
「この曲を歌いこなすためには最低限これくらいのレベルの技術を持ち合わせていなければ」ということです。
難しい曲を選んだとして、もし歌い手・指揮者のレベルがその水準に到達していなければ、演奏のクオリティは高まりません。
もっと言えば、選んだ曲が難しすぎた場合、演奏そのものが破綻してめちゃくちゃになってしまう可能性も危惧されます。
難しい曲を選びさえすれば演奏のクオリティも自動的に高まり、入賞しやすくなるという訳ではないということです。
簡単な曲を選び、それを作り込んでいくことでクオリティ高い演奏に仕上げることもできます。
作り込みの選択肢としては
- シンプルなハーモニーを極める
- 言葉の明瞭さを極める
- 声そのものの魅力を極める
- フレージングの美しさを極める
などが考えられます。
ただし、曲自体が簡単(シンプルな書法と言っても良い)な場合、こういった作り込みをしていくのはそれはそれで難しいところがあります。
おすすめは「感動する曲」?
難しい曲を選ぶことが必ずしも入賞の近道になるとは限らないことを述べさせていただきました。
それではどのような曲を選ぶべきなのか。良く言われるのは「感動する曲」です。
コンクールの結果を判断するのは審査員です。校内合唱コンクールの場合、審査員と言っても全員がプロの音楽家というわけではありません。
したがって、分かりやすい感動(曲の展開が激しい、盛り上がる、泣ける)がある曲は審査員としても評価しやすく、勝ちやすいという訳です。
それも正直一理あります。
しかしながら、「感動させれば勝てる」という考え方は持って欲しくない、というのが私としての想いです。
その理由について次の項目で説明して参ります。
コンクールの本音とタテマエ
コンクールにおける手段と目的とは何か? そして本音とタテマエのお話。
タテマエ:最初から勝ちだけを目指して欲しくない
先ほど述べました、
「感動させれば勝てる」という考え方は持って欲しくない
という点についてさらに詳しく解説させていただきます。
勝つためには感動させる必要があり、そのために感動する曲を選ぶと言った場合、
- 目的=勝つ
- 手段=感動させる
という図式になっています。非常に合理的で、戦略的な考え方ではあります。
一方で私がこうあって欲しい、自分自身こう考えたいという図式はこのようになります。
- 目的=良い音楽を作る(感動させる)
- 結果=勝つ
要するに、どちらを目的とするのか、手段とするのかということが問題です。
私の理想は、「こんな音楽を作りたい!」というビジョンがあり、それを実現できるように練習を積み、本番で発揮する、結果として「勝ち」がついてくる、というものです。
根本には「自分たちがどういう音楽を作りたいか?」というビジョンがあるべきだと私は思うのです。
もう少し踏み込んで述べるなら、勝ちを目的とすること自体に異を唱えていることにもなるでしょう。自分たちが表現したい音楽ができれば結果なんて関係ない、ということです。
…そしてこれは同時に、甘っちょろい考えであり、タテマエでもあります。
本音:それでも勝ちたいという気持ちも分かる、というか私にもある
ハッキリ言って先ほど述べたような考えは理想論でもあります。
「音楽そのものが大切」「音楽に勝ち負けは馴染まない」。そんな清潔な考えを多感な時期の中学生・高校生に授けたい、その気持ちもあります。
ですが結局、コンクールは結果を競う場です。やるからには勝ちたい。私だってコンクールに出る立場になったらそう思います。
大体、中学生・高校生にとってみたらチャンスはたった3回しかありません。1年に一度ずつの青春です。クラスで一丸になって勝利を目指す、その想い・他では得難い経験に水を差すわけにはいかないでしょう。
音楽より結果を優先させる、そんな本音も私は認めたいと思います。
とりあえずの処方箋:勝とう、でも自分たちの音楽を探求することも忘れずに
ここまでの話の流れ、私の考えを整理しておきます。
- タテマエ…「こんな音楽を作りたい!」というビジョンを持って欲しい
- 本音…とにかく勝ちたいという気持ちも分かる、私にもある
ということでした。クラス合唱のコンクールを考えたときには、この両者の間で葛藤を生じるという訳です。
もし、「本気でコンクールに勝ちたい、だから良い曲を教えて欲しい」と尋ねられた場合、私自身が「難しい曲」「感動する曲」をお伝えする可能性も大いにあります(むしろかなり高い)。これまでの話と矛盾するようですが、これも葛藤がある故のことです。
この葛藤・矛盾に対して、現状の私の結論を述べたいと思います。
まず本音の部分、「勝つために勝てる曲を選ぶ」ことは良しと認めます。
その上で先ほど述べたタテマエの部分、「自分たちがどういう音楽を作りたいか」ということも並行して心に留めておいて欲しい。
これが私としてのとりあえずの処方箋です。
とにかく勝ちに行く、最初はそれでも構いません。しかし「自分たちがどういう音楽を作りたいか」ということをどこかで思い出していただければと思います。
「自分たちの音楽」の見つけ方
「自分たちの音楽」はそう簡単に見つかるものではありません。
「自分たちの音楽」というのは本気で音楽に取り組むことによってのみ見つかるものであると私は考えます。
選んだ曲に向き合って、試行錯誤し、練習し続ければ、やがて少しずつ見えてくる可能性があります。(クラス合唱という短い時間でかつ、専門の指導者がいなければ難しいかもしれません。)
あるいは単に合唱の練習においてだけでなく、いろいろな演奏を聴いたり、音楽以外の芸術・文学に触れたりする過程で見えてくることもあると思います。
こうなってくるとクラス合唱の範囲には収まりませんよね。「自分たちの音楽」を持つことが理想論であると述べたのはこういった理由もあるのです。
曲と向き合ううちに自分たちがやりたい音楽が見えてくる、と述べました。
本当に良い曲はこのプロセスを助けてくれます。
したがって私が曲をおすすめする場合には、歌い手・指揮者を成長させてくれる曲を、絶対に選びます。
「自分たちの音楽」がなぜ大切か?
「自分たちの音楽」を持って欲しい、これは私の想いでもあると同時に、良い音楽をつくるためには欠かせないことだと私は考えています。
自分たちが表現したい音楽、目指したい音楽が出発点としてあり、それが実現できるように練習をし、演奏する…、そうしてこそ良い音楽は作られると私は思います。
このことの本当の意味は、今はまだ多くの人が理解できないと思います。しかし「自分たちの音楽」を持とうと思い続けていれば分かる時が来るはずです。(はっきり言って時間が掛かります。)
なお勝てるかは分からないのがコンクール
難しく、感動する曲を選んだ、それを表現するためにしっかり練習した。…それでもなお「勝てる」とは限らないのがコンクールです。
当日、自分たちの演奏がたまたまうまくいかないかもしれないですし、自分たちより優れた演奏をする団がいれば(そう判断されれば)それまでです。
審査員にもよります。「あの評価は好みだよね」とも良く言われます。(もう少し厳密には価値観の違いと言うべきだと私は考えますが。)これでは納得いかないようですが、これは由緒ある全日本合唱コンクールでも起こり得ることです。
ハッキリ言って理不尽な世界ですよ。
それでも合唱・コンクールを嫌いにならないで欲しい
一生懸命正しい(と思われる)努力をしてきても、結果に繋がらないことがある。
「合唱なんか、コンクールなんかやってられるか!」という気持ちにもなってきますね。
ですが、本当に結果として何も得られなかったでしょうか?
確かに、ここまで「勝ち」を目的とすることを認めてきました。それが達成されなかったのだから失敗と言えるかもしれません。
しかし並行して、私自身混乱しながら繰り返し述べてきたことがありますよね。「自分たちの音楽」です。
「自分たちの音楽」を見つけることは非常に難しいです。しかし、その全部とはいかなくても、その片鱗だけでも掴めていれば「これだけの音楽ができた!」という達成感が必ず湧いてくるはずです。
また、一生懸命練習して臨んだ本番はどうでしたか? ただ楽しいのとは違う、非日常の高揚感があると思います。
もし、「勝ち」だけを目的としていたなら、このような達成感・高揚感は無いかもしれません。「自分たちの音楽」を追求して欲しいと言う意図は、ここにもあります。
コンクールに対する私の経験と考え
最後に私の経験と考えを述べさせていただきます。
結果が出なくても納得できる
「頑張ったのに負け!」。…どうでしょうか。私は納得できます。
私の場合、本番に向けてはできる限り自分たちのやりたい音楽を追求しますし、できるかぎりストイックに練習も詰めていきます。
時間も労力も掛かりますし、精神的にも追い込まれます。しかしそれだけに結果も期待できるかもしれない…。
そうやって臨んだ本番、私自身の経験上、どれだけ情熱と努力と時間を掛けて準備した場合であっても、「今回の演奏は完璧だったな」と思ったことはありません。
そういう意味では「自分たちの音楽」という理想は、近づくことはできても、到達することはできないものと言えるのかもしれません。
だからこそ、結果に理不尽な思いを抱くことはありません。
私にとってのコンクールとは? それと自慢
一方で、私自身は結果を出してきている(と自分では思う)指揮者です。
その上で思うのは、私にとってコンクールとは、理想に近づいていくための手段であって結果は目的ではないのかもしれないなということです。
「それってタテマエだったんじゃないですか?」と思われると思います。確かにそうです。
ですが私の場合は「自分の音楽を追求した上で結果を出して」います。
クラス合唱などの場合、「自分たちの音楽を追求すること」と「手っ取り早くコンクールで結果を出すこと」の行先の違いが葛藤や矛盾を生みました。
ですが私の場合、「自分の音楽」と「結果を出すこと」の向かう先が一致しています。
- 「自分の音楽を追求する」→「結果がついてくる」
という図式が成り立っている、だから矛盾しないんです。
ぶっちゃけ自慢なんですが、この点に関しては、私は自信があります。
まとめ:【必読】合唱コンクールで「絶対勝てる曲」なんて無い|厳しめの意見
お読みいただきありがとうございました!
この記事でお伝えしたかったことを4行でまとめます。
- コンクールの結果は演奏・音楽で決まる
- 「自分たちの音楽」を見つけることが良い演奏・経験に繋がる
- 努力しても勝てるかは分からないのがコンクール
- 「勝ち」以外にも得られるものは必ずある
コンクールに関しては色々な意見があると思います。
色々述べさせていただきましたが、一生懸命頑張る学生諸君(社会人も)を私は応援したいと思います。
合唱に関して言えば、学校教育の場では指導者が不足していたり、ネット上の情報も不十分なものが多いと思います。
このサイトが合唱を学ぶ、努力する人のお役に立てばと思います。
それではまた別の記事でお会いしましょう!